私たちが心の中で、
惨めさ、 敗北感、失敗感のような感情を感じる時
それはとても辛い感情であるが故に、
その感情を感じないようにする意識が働くものです。

そうして、人と競争したり、対立したりして、
どちらが、その感情を引き受けるかということを、無意識にやってしまうものですが、

そこでは、惨めで、敗北して、失敗した自分も愛してくれて
そんな自分の価値を見てくれる人がいるという、
発想は中々持たないものだったりもします。


 私たちが競争に敗れ、挫折を体験し、
もうこんな自分に価値も可能性もないと叫びたくなるときに大切なのは、
自分が自分のことを惨めにしていただけで、
自分の価値を見てくれていた人はいたことに気付くことです。

そして、私たちが惨めな自分に価値を見てくれた人に気付けたとき
そこでは、二つの選択肢が現れます。

これからもずっと自分のことも惨めな存在のままとして扱うのか?
それとも、惨めな自分に価値を見てくれた、
あの人のような存在になりたいと思うのか?

競争を選ぶ生き方をするのか、
繋がりを大切にする生き方をするのか、
そこでは試されることになります。

私たちがそこで、繋がりを大切にする生き方をするために大事なのは、
こだわりを持っていくことです。

そしてそれは、
惨めさや敗北感のような感情の全てを、
競争のために使うのではなく
何が何でもこのこだわりを実現するのだ、という
自分の原動力に変えていくことです。

そうして私たちがこだわりぬいて自分の望む世界を作り上げた時、
競争を通して蹴落とし合ってきた誰かに対して、
慈愛の目を持てている自分が居ることに気付き、
惨めさや敗北感の全てが、あなたの安心感や包容力に変わるのです。


過去、競争の世界の中で、敗れに敗れ、
自分の可能性を信じられなくなった僕が、
どのようにして、
惨めさを安心感に変えていったのかという体験から、説明させていただきたいと思います。

***

競争に敗れに敗れた時代

僕は高校時代、サッカーをやっていました。
プロを目指したいと思うほどに、
情熱は注いでいたのですが、
精神疾患の影響もあり、
高2の中ごろから、まともにプレーできないことが増えました。

元々、注ぐ情熱とは反して、実力もあった方ではなかったので、
150人ほど部員が居る中での一番下のチームに所属していました。

そのため、部活を休みがちになり、
まともなプレーができないことが増えると、
さらに周りとの実力に開きが出てくるわけです。

焦りと苛立ちとふがいなさ。
様々な感情を感じる日々を過ごしました。

でも、その感情を元に、自分に才能がないという烙印を押すわけにはいきません。
諦めたくない夢があるからこそ、
何とか食らいつこうとしました。

でも、食らいつこうとすればするほどに、
自分が蹴落とされるか、
誰かを蹴落とすのかという気持ちを感じ、
心はますます孤独になりました。

夢が叶うならばそれでもいいと思いましたが、
再び練習に参加して、
また休んでを、以前に増して繰り返していくと、

同級生にも、下の学年の子にも
実力が及ばないという気持ちを、
練習の時間、常に感じるようにもなりました。

そして高3の秋ごろ、そこで二つ下の、高一の子とボールの競り合いをして、
全く歯が立たなかった時に、心が折れた音がしました。

心の中では、いや負けてないと必死に言い訳する自分がいましたが、
胸の痛みが、僕の心が折れたことを何よりも表していました。


でも、それでもプロへの夢が、
諦められなかったのです。

だから、練習時間を増やすという名目で、
高校を中退したわけですが、
心の中では惨めさも、敗北感も、失敗感もすべてを背負い、150人の部員の
誰にも勝てないことをどこかで知っていた僕は、
全ての人との連絡を絶ち、
一人で夢を叶えようと進みました。

それは、誰にも勝つことのできない惨めな僕の価値など、誰も見るわけがないと、
僕自身が思い、
一人の世界に、自ら足を踏み入れていったのです。

その後、二度ほどプロ試験を受けましたが、
もちろん不合格です。

どこかで、自分にプロになれるだけの実力がないことはわかっていました。

でも、それを認めてしまうことは、
あの150人の部員の誰にも勝てない、
惨めな自分を認めることのようにも感じ
その自分を認めてしまったら、
自分の存在価値の全てがなくなるような気がしていたのです。

だからこそ、プロ試験に二度落ちた時、
今まで抑圧して感じないようにしてきた、
誰にも勝てないと感じるような惨めさや、
敗北感の全てと直面することになりました。

そうして僕は競争の世界の中で、
背負うことをした痛みや惨めさを抱え、
引きこもり生活をするようになりました。


***

惨めだと思っていたのは自分だけだった

その後、様々な人の助けを借りて、
引きこもりを抜け出し、
神戸メンタルのカウンセラー養成コースに入るようになりました。

そこでは、様々な男性の先輩と出会うことになりました。

誰にも勝てないという惨めさを抱えていた僕は、
最初の頃は、どこか距離を作り、遠くから見ていることが多かったように思います。

でも、そんな風に距離を取る、僕とは反して、
様々な男性の先輩が僕に対して関わってくれました。

嬉しかった半面、怖さも同時に感じていました。
誰にも勝てないと感じるくらい惨めさを抱えていた僕は、出会う男性全てから、
僕の弱さを指摘されるのではと怖がるくらい、
特に同性との間で競争意識を持ち続けていたのです。

だからもし、今度、僕の弱さを指摘されて、
惨めさを感じたとしたら、
もう引きこもりの時以上に、
立ち上がれなくなる気がしていたのです。

そしてそれは、人との繋がりを全く信じられていなかったということでもあります。

そうして、怖がる僕は、
同性の先輩と関わるたびに、
どこか心の中に怯えや不安を抱えながら関わっていました。

でも、どれだけ僕がそのような態度を取っても、
誰一人として僕のことを否定してこないのです。

徐々に徐々に、
先輩のことを信頼できるようになっていきました。

そうすると、あまり笑えなかった僕が、
心の底から笑えるようなことが、少しずつ増えていきました。

それは、競争を通して、
勝ち負けばかりに囚われていた
僕の意識が変わった瞬間でもありました。

誰にも勝てないと惨めさを感じ、
誰からも攻撃されると思っていた僕が、
怯え怖がっている僕を、
否定しない人との出会いでを通して、
その人の存在を信じた時、
初めて競争を超えて、
人との繋がりを選ぶことができた
のです。


そして何よりそれは、
自分を惨めにしていたのは、
自分だけだった
と気づいた瞬間でもありました。

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***

それでもこだわり抜いた先に見えてきたもの

そうして人との繋がりを大切にできたぶんだけ、余裕が出てきた僕は、
介護の仕事を始めることになりました。

介護の仕事の業務の中には、
衣類の着替えの管理というのがあり、
お客様が何を着替えるのかというのを、
覚える必要があります。

でも僕は、全然覚えることができなくて、
ミスばかりしていたのです。

そうすると、
できてない惨めな自分を感じることにもなり、
自分がお荷物や足手まといのように思えてくるし、自分がここの職場に、
居てはならないような気がしてくる。

でもそう感じる中で、学生の頃と違かったのは、
惨めだと思っていた自分にも関わってくれて、
居場所を作ってくれた人は居た
と感じられていたことです。

このまま自分を惨めだと思い続けて、
またこの場所からいなくなるのか?

それとも、惨めだと思っていた僕を受け入れてくれた人のように
僕も誰かの居場所を作れる人になるのか?

心の中に繋がりを感じられている分
どちらを選ぶのか、
問われているように感じました。

そうして僕は、
あの時、惨めだと思っていた僕を受け入れてくれた人達に、ほんとに感謝の思いがあったので、
逃げるのではなく、
あの人たちのようになろうと思いました。

もちろん、そのように思ったからと言って、
ミスがなくなったわけではありません。

ミスはするし、ミスするたびに怒られるし、
時には自分がここに居ていいとは思えなくなる。

でも、僕に居場所をくれた人達に、
感謝があったので、
自分の惨めさに負けたくないと思ったのです。

そうして惨めさよりも、
関わりを通してもらった居場所を感じ
心の中にある居場所を通して
他の人にとっての居場所を作り続けることにチャレンジすると、
ある日、こんなことを思うようになりました。

ミスするかどうかとか、
失敗するかどうかとか、
そんなことよりも、
ただただ目の前の人を大切にできる自分で居たい。

そう思うと、他の人がミスしてるとか、失敗してるかどうかとか、どうでもよくなったわけです。
それよりも、
ただただ頑張ってくださることが有難い。
そんな風にも感じるようになりました。



惨めさよりも、
居場所を作り続けることにチャレンジすることで、見えてきた世界は、
とっても優しい世界でした。

競争し合うとか、
蹴落とし合うとか、
そういう世界ではなく、
ミスしたとか関係なく、
頑張りを認め合えていると感じ合える世界。

そしてその世界に触れた時、
僕自身も、自分の惨めさを手放せたのです。

それは、競争することよりも、
繋がりあうことを選び
ただただ存在を大切に思える、
やさしい世界に触れられたからこそ、
自分はそのままで、ここに居ていいと、感じられたことでもありました。


***

惨めさの全てが慈愛の目となる

そうして、優しい世界に触れたのち、
高校時代の友人のことを思い出してみました。

あの時は、僕が競争の世界に住んでいたからこそ、蹴落とし合う対象としてしか、
見れなかった人たちです。

でも今は、ただただ感謝の思いで、
見れている自分が居ます。

勝てないかどうか、負けているかどうか、
そんなことよりも、
学生時代に出会った一人一人に対して、
応援を祈りを信頼を、
送りたい気分にもなりました。


今年、僕の母校は、
何十年ぶりに全国大会に出ました。
ほんとうにうれしかった。
夢中で応援してしまいました。

過去の自分なら、きっと劣等感だらけで、
素直に喜ぶことも、
応援することもできなかったと思います。

でも、今はただただうれしかった。
勝つたびにうれしくて、
でも負けた時も、
ただただ頑張った全てを称えたい。
素晴らしかったと伝えたい。
そんなような気分にもなったのです。

それは僕の心で感じてきた、
惨めさ、敗北感、失敗感の全てが、
他の人が感じた、負けて悔しい気持ち、
敗れて惨めな気持ちの全てを包み込み
その上で、存在を肯定する心に変わったということでもありました。



私たちというのは、
惨めさや敗北感といったように、
ほんとに辛くてたまらない感情を感じた時、
あまりの辛さから、
人との距離を作り出してしまうものです。

でも、そんな時ほど、
思い出してみて欲しいのです。

競争の世界の中、
あなたが勝つか負けるかどうか関係なく、
あなたを慈愛の目で見てくれた人は誰でしょう。

そしてその人は、あなたにどんな言葉をかけ
どんな目であなたのことを見てくれたでしょうか。


私たちが惨めさを抱えているとき、
そこを抜けるのに大切なのは、
ただただあなたを受け入れてくれた目と繋がり、
感謝の思いを持てる私になりたい
と思うことです。

そうして初めて、自分の惨めさを通して、
誰に優しくするのか?誰の居場所となるのか?
そんな風に考えることができるようにもなり、

作り上げた世界を通して、
誰かが惨めさや痛みから解放され、
安心しているのも見た時に、

私たちの心も真の意味で、
抱えていた惨めさから解放されるのです。